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幻の磁器「鍋島」とは?

日本磁器(じき)の最高峰と称される特別な焼き物、それが「鍋島(なべしま)」です。 江戸時代、佐賀藩鍋島家が徹底した管理のもとで生み出した、究極の美を持つ磁器。その歴史や魅力、また「幻」と言われる理由などをご紹介します。

日本磁器のはじまりと「鍋島」の誕生

1616年、朝鮮人陶工の李参平が佐賀県有田町で良質な陶石を発見したことから、日本で初めての磁器生産が始まりました。この頃に作られた磁器は、出荷港の名から「伊万里焼」や「IMARI」(現在では「古伊万里」)と呼ばれ、日本中に、そして世界へと輸出されていきました。

厳重な管理下で磨かれた「美」

そんな中、鍋島藩は藩の威信をかけて、特別な磁器の製作を始めます。正確な時期は公式な記録は残っていませんが、1650年代頃後半だと伝えられています。

有田の陶工たちの中から、特に腕利き職人たちが選び抜かれ、外部との交流を厳しく制限され徹底した管理体制のもと、彼らはある秘境に集められました。この場所こそが、現在の伊万里市大川内山に置かれた鍋島藩の御用窯(ごようがま)です。藩の管理下で運営されたため、藩窯(はんよう)とも呼ばれるこの場所では、最高峰の技術と美意識が、門外不出の形で代々受け継がれました。

採算度外視で追求された究極の「美」

この御用窯では最高の技術だけでなく、最高級の原料も惜しみなく注ぎ込まれました。

磁器の原料である陶石は、泉山から発掘されるものの中でも選りすぐりの「御用土」と呼ばれる部位のみを使用。一般の食器製作では到底使えないような、最上級の素材が使われていたのです。

さらに焼成には、15部屋ほどある長い登り窯のうち、火の通りが最も良く、火加減が安定する中央の2、3部屋のみを使用して焼かれていました。また、焼き上がりが完璧でなかったものは、徹底的に割り砕かれ、細かな破片になるまで小さくし捨てられていました。これは、技術が他所に漏れたり、誤って失敗品が献上されたりすることが絶対に起きないための工夫だったのでしょう。

こうした徹底した管理体制のもと、採算を度外視して、一切の妥協を許さない完璧な美が追求されていたのです。

鍋島と古伊万里、その違いは?

「鍋島」と聞けば「古伊万里」を思い浮かべ、またその逆も然り。どちらも骨董や美術館などで目にする機会も多く、有田焼に何かしらの関係があるということは知っていても、その違いは意外と知られていないかもしれません。

両者は「江戸時代」に「有田周辺(肥前地区)」で作られた「磁器」である、という大きな共通点を持っています。

ではその違いは?というと、それは納品先の違いです。

「鍋島」の製作目的は「献上用」で、主な納品先は「将軍家や諸大名」です。

「古伊万里」の製作目的は「販売用」で、主な納品先は「国内外の市場」です。

鍋島は、将軍家や諸大名への献上品として、または藩主が使うためだけに作られた磁器です。藩が管理する御用窯で、最高の職人たちが採算度外視で製作にあたりました。一般には流通しなかったため、その生産量は非常に限られています。

一方、古伊万里は、江戸時代に有田周辺で焼かれた磁器の総称です(明治以降のものは含みません)。こちらは国内はもとよりヨーロッパの王様たちからの熱狂的な需要もあり、大量に生産され、活発に流通しました。そのため、現代でも骨董品店や美術館で目にすることが多く、世界中に愛好家が存在します。

同じ有田周辺の地で生まれた二つの磁器。一つは権威の象徴として究極の美を追求し、もう一つは商いの品として広く人々の生活を彩りました。それぞれが異なる歴史を歩み、今にその魅力を伝えています。

鍋島を象徴するカタチとサイズ

古伊万里が壺や蓋物、装飾品など多種多様な器種を生産していたのに対し、鍋島作品の主力は皿類でした。中でも、特徴的なのは以下の形状です。

木盃形(もくはいがた)

一般的なお皿と比べると、背が高く(床からの距離がある)作られたもので、脚付きの盃に近い形状です。中央から縁にかけて張りのあるカーブを描きます。

規格化されたサイズ

皿は円形のものが主で、一尺(約30cm)、七寸、五寸、三寸といった規格に統一されていました。

七寸、五寸、三寸などの向付や小皿など小さめのものは同じ文様のものが5客、10客などのセットで作られていた一方、30cmの大皿は「尺皿」と呼ばれ、同模様のものが少なく、1点生産だったと考えられ、非常に珍重されています。

その他にも、高台の周りに短い脚が付いた三脚皿や、八角形、花形といった変形皿も作られました。

幻の磁器と呼ばれる理由と、その特別な特徴

鍋島がなぜ「幻の磁器」と称され、これほどまでに珍重されたのかお分かりいただけたでしょうか。単に歴史が古いからだけではなく、完璧な美を追求するために、一切の妥協を許さなかった特別な製作背景にあります。

1. 一般には流通しなかった

藩窯で生み出された鍋島作品は、将軍家や諸大名への献上品、あるいは藩主が使うための品として作られたため、市場に出回ることはなく、その存在自体が極めて希少だった。

2. 採算度外視で製作された

最高の技術を持つ職人が、最高の原料を惜しみなく使い、一切の妥協を許さずに作られたものである。また、一般に販売することを目的としていなかったため、コストを気にすることなく、完璧な美だけが徹底的に追求された。

3. 特に大皿は「一点もの」

鍋島作品の主力であった皿の中でも、直径約30cmの「尺皿」と呼ばれる大皿は、一点一点異なる文様が施されており、同じものが二つとない。この「一点もの」という希少性が、さらにその価値を高めている。

これらの理由から、鍋島は単なる工芸品ではなく、江戸時代の最高の技術と美意識が結晶化した、まさに「幻の磁器」として現代に語り継がれているのです。

廃藩置県と技術の継承

1871年(明治4年)の廃藩置県により、鍋島藩窯はその歴史に幕を閉じました。しかし、その卓越した技術は途絶えることなく、その後、有田町赤絵町の今泉今右衛門家によって見事に継承され、現代に伝わっています。 鍋島は、ただ美しいだけでなく、時代に翻弄されながらも最高の技術と美意識を守り抜いた、職人たちの誇りの証とも言えるでしょう。

素人でも楽しめる、鍋島の鑑賞ポイント! - 色鍋島(いろなべしま)編

美術館や骨董店で「鍋島」という文字を見かけたら、ぜひ立ち止まって見てみてください。鍋島の作風には、鍋島特有の「染付」「青磁」「瑠璃釉」などいくつかの象徴的な技法がありますが、特に華やかな「色鍋島」には、初心者の方でもすぐに分かる、特別な魅力が隠されています。

今回は、その奥深い世界を3つのポイントに絞ってご紹介します。

1. 器の裏側を覗いてみて!「櫛目高台(くしめこうだい)」

器を横から、そして可能であれば裏返して見てみましょう。高台(こうだい)と呼ばれる器を支える脚の部分には、まるで櫛で引いたような、等間隔の細い模様がびっしりと描かれています。これは「櫛目高台」と呼ばれる、鍋島焼を代表する特徴の一つです。

この櫛目の模様は、鍋島が持つ厳格な美意識を象徴しています。表面の華やかさだけでなく、見えない部分にまで完璧な手仕事が施されていることに、職人のこだわりと誇りを感じることができます。

2. たった4色で表現される無限の美しさ

色鍋島は、限られた色数で驚くほど豊かな世界を表現しています。使われるのは、下絵の青に、上絵付けの赤・黄・緑。この厳選された4色だけで、緻密で美しい文様が描かれています。

古伊万里に見られるような豪華な金彩や、多種多様な色使いとは一線を画し、抑制された色合いから生まれる洗練された美しさが、色鍋島ならではの魅力です。この限られた色数の中に、いかにして奥行きと立体感を出すか、職人たちの技術とセンスが凝縮されています。

3. 写実的ではない、幾何学模様

色鍋島に描かれているのは、写実的な絵画ではなく、様式化された幾何学模様や、パターン化された植物文様です。

例えば、桜や牡丹、菊といった花は、まるで模様のように規則的に、そして完璧なバランスで配置されます。これは、自然の美しさをそのまま描くのではなく、鍋島独自のルールに則って美を再構築する、という考え方があったからです。この完璧な構成美も、鍋島が持つ特別な魅力の一つです。

次回、鍋島を見る機会があったら、ぜひ器の表面だけでなく、横や裏からも見てみてください。きっと、400年の時を超えて受け継がれてきた、職人の技とこだわりを発見できるはずです。